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瞑想は「心の平安」を与えてくれる

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最近、エックハルト トールの本を読み返しています。

  〜「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」 徳間書店〜 より、、
                       ( 世界33カ国でベストセラー)

P247より〜

つい先日のこと、ある有名女優が、80代で自殺をしたという話を、何かで知りました。美貌が加齢で衰えるにつれて、彼女はどうしようもなく絶望的になり、世をはかなむようになりました。

彼女もまた、
「容貌」という「人生の状況」で、アイデンティを定義していたひとりです。
はじめは、「人生の状況」が「幸せ」を彼女に与え、
のちには「不幸」を与えていたのです。

もし彼女が、自分の内面にある、
かたちと時間を超越した「大いなる存在」につながっていたら
自分の外見が衰えていくのを、穏やかな心境でながめ、
あるがままに、受け入れていたことでしょう

さらに美は衰えるどころか、「精神の美」に変わっていったはずです。

「大いなる存在」につながっていると、衣である肉体が、日に日に透明度を増していくために、年齢を超えた本質が、肉体を貫いて光り輝くようになるからです。

でもこの女優’にとっては、この事実は思いもよらないことだったでしょう。わたしたちにとって不可欠な知識でさえ、いまもって万人の知るところにはなっていないのです。

ブッダは、幸福でさえ「苦」、不満を意味する「ドゥッカ」(dukkha:バーリ語)である、と説きました。幸福も、その対極である不幸と不可分であるからです。

つまり、、幸福と不幸は実のところ、同じものなのです。
時間という幻想が、それを全く違うものであるかのように区別しているのです。

みなさんは「幸福も不幸も一緒だなんて、何てネガティブな考え方なんだろう!」と、思われますか?これは、決してネガティブな思想ではありません。
一生涯、幻を追い求めることがないように、物事の本質を見極めることについて、お話ししているだけです。

これからは、楽しい出来事や美しいものを、喜んではいけない、と言っているのでもありません。
「アイデンティティ」、「永遠性」、「充実感」を与えることができないものに、それらを求めるのは、フラストレーションと苦しみをつくる処方箋だと言っているのです。

もし、全人類がさとりをひらき、ものでアイデンティティを確立することをやめたなら、広告産業や消費社会の存続は危うくなるはずです。

外界のものに幸せを求めれば求めるほど、ますますそれらに惑わされてしまいます。外界のものはどれも、一時的もしくは表面的にしか、私たちを満足させません。しかし、人間というものは、何度も幻滅を味わうまでは、この事実に気づかないのかもしれません。

ものや状況は、わたしたちに快楽を与えてくれますが、同時に痛みをも与えます。それらは、わたしたちに「快楽」を与えることはあっても、「心の平安」を与えてはくれません。
「心の平安」は、なにものにも依存せず、心の奥底から湧き上がってくるものだからです。これが、「大いなる存在」の本質であり、「神の平和」とよばれている境地なのです。

。。。。。。

エックハルト先生、

あまり人生映画の内容に執着するな!

ということだと思いますが、、

わかっていても、時に
「条件反射」のように執着するのが、人の性、なんだと思いますが、、

瞑想はこの「大いなる存在」とのつながりを持つ時間だから、、、

瞑想後は、何か、気にしていた「問題」のようなものが
うそのように、気にならなくなることが多々、ある、、、

瞑想は「心の平安」を与えてくれるので、好きです。。。

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