ノンデュアリティについての考察 NO.2

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ノンデュアリティ(非二元)の話を「私はいない」という表現で、
最近聞くけれど、、、。

私流に、ノンデュアリティについて考えてみたいと思います。

それは「私は誰か?」という問いから始まり、、、。

本当の自分は、「二元のストーリーの中の自分」ではなく、


『人生映画を ただ観察している「意識」が、本当の自分である』

 

というのが、ノンデュアリティーの意識。。。

だから、ノンデュアリティをもって、
「私はいない」というより

『ストーリーは、本当の私ではない!』

と気づくことが大事、、、。

そして、ノンデュアリティをどう実社会で活用できるのかといえば、、、
私たちは、二元の世界でストーリーの中で生きているけれど、

「ストーリーの自分」が本当の自分だという思いが強いと、
それは「執着」を生み、、、。

「執着」は、「強い欲望、期待」であり、


欲望、が叶わないことも多いから、「苦しみ」が生まれる。
つまり、私(欲望)が強くあると、「苦しみ」が生まれる。

でも、二元世界で生きている以上、
欲望、は誰でもあると思いますが、、、。

非二元の意識
(自分と、ストーリーを同一視しない)

を思い出せれば、
もっと、バランスが取れ、

無執着で在れる=中道

に生きることができ、


人生でうまくいかないことに対しても
もっと「慈悲心」をもって、関わることができる
すると楽になれる。。。

苦しみでさえ、味わいとして体験するようになれるのでは?
(まあ、そこまで行けば、こわいものなし)

そのような達観が、
ノンデュアリティの正しい活用法?(笑)
のように思います。

スピリチュアルでストーリーゲームを強化するのではなく、
(一瞥体験、特別体験、を追いかけて、
それを得た?得ない?と、競争するのではなく〜!)

自分で苦しみを自動的に作り出すメカニズム(批判、判断)から
解放されるように、、、、

マインドフルになるように、、、

瞑想いたしましょう〜!!

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